嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2

コミック、映画、ミステリーなど、思いつくまま綴ります。街のお散歩写真もご紹介(#^.^#)

時代小説「一夢庵風流記」隆慶一郎

著者:隆慶一郎
カバー装画:西のぼる
発行:平成3年9月25日 
発行所:新潮社
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著者紹介
隆慶一郎(1923-1989)
東京生まれ。東大文学部仏文科卒。
在学中、辰野隆小林秀雄に師事する。
編集者を経て、大学で仏語教師を勤める。中央大学助教授を辞任後、本名・池田一郎名で脚本家として活躍。
映画「にあんちゃん」の脚本でシナリオ作家協会賞受賞。
1984年、「吉原御免状」で作家デビュー。1989年には「一夢庵風流記」で柴田錬三郎賞を受賞。
時代小説界に一時代を画すが、わずか5年の作家生活で急逝。
(カバー折り返しより)

内容紹介・感想
前田慶次郎利益(利太とも書く)は滝川左近将監一益の従兄弟(甥ともいう)滝川儀太夫益氏の子である。永禄十二年(1569年)、尾張荒子城主前田利久の養子になり、当然その名跡を継ぐ筈だったが、織田信長の命令によって、荒子城は利久の弟前田利家に与えられることになった。利家は利久の父前田縫殿助利昌の四男だったのだから、これは全くの異例の処置だったといえる。その上、利久は城を追われた。
お陰で慶次郎は養父利久一家を若年の身で双肩に担い、天下流浪の身となった。」
(本文より)

戦国末期、天下の傾奇者として知られる男、前田慶次郎
現代では知名度の低かったこの男を一躍有名人としたのは、本作と本作を原作とした「北斗の拳」で知られる原哲夫氏のコミックス「花の慶次 雲のかなたに」によってでしょう。

隆慶一郎氏がシナリオの仕事で前田慶次郎のことを調べている中で、「日本庶民生活史料集成」に蔵められている慶次郎の旅日記に出会いました。そしてこの本により、慶次郎のイメージが一変したそうです。
「この短い旅日記の中にいる慶次郎は、学識溢れる風流人でありながら剛毅ないくさ人であり、しかも風のように自由なさすらい人だった。」
(平成元年2月16日 著者後書より)

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コミックス版
花の慶次 雲のかなたに」
集英社文庫 全10巻完結
初出:少年ジャンプ1989年50号読み切り、1990年13号~1993年33号

文庫版1巻の二橋進吾氏の解説エッセイ「傾奇者 隆慶一郎に、コミックス化の経緯が詳しく記されています。

隆慶一郎氏が亡くなる年の夏、大作「北斗の拳」を好評のうちに終わった原哲夫氏の次回作を探していたジャンプ編集長堀江信彦氏は、病床にある隆慶一郎氏のもとを訪れます。
足しげく病室を訪れるうち、隆氏が言います。
「傾奇者前田慶次郎という男がいい「一夢庵風流記」の主人公だが若い時代を私は描いていない、自由奔放に戦国時代を生きた男だ」
その後、原哲夫氏を伴って訪れるうちに、コミックの構想が膨らんでいきます。

「9月11日に隆慶一郎は一時退院し、22日に戻った。その間に約束は実行された。堀江編集長と原哲夫はふぐ屋の暖簾をわけた。その夜口数の少ない原哲夫は二人の話に終始耳を傾けていた。頭のなかでは「花の慶次」の絵がつぎつぎに浮かんで、いつか慶次と隆先生が重なりはじめていた。
隆慶一郎が好きな江戸(東京)の町を自由に歩いた最後の夜であった」
二橋進吾氏の解説エッセイ「傾奇者 隆慶一郎」より


前田慶次郎登場作品 「叛騎兵」 山田風太郎