特別展【仁和寺と御室派のみほとけ】展
東京国立博物館 平成館
2018年1月16日(火)~3月11日(日)
展覧会構成
第一章 御(お) 室(むろ) 仁和寺の歴史
仁和寺は、光孝天皇(830-887)の発願により造営がはじまり、仁和4年(888)、宇多天皇(867-931)により創建されました。宇多天皇は譲位後に出家し、延喜4年(904)、仁和寺に御室(僧坊)を造営、隠棲します。その後、仁和寺は、宇多法皇の法流を受け継ぐべく歴代門主は親王・法親王が相承し、 御 ( ご ) 願 ( がん ) 寺 ( じ ) (皇室の私寺)として歴代天皇より崇敬されてきました。「御室」と称されてきた仁和寺の歴史を如実に物語るのが、国宝「高倉天皇宸翰消息」をはじめとする仁和寺に伝わる天皇直筆の書( 宸翰 ( しんかん ) )の数々です。その宸翰を中心に、歴代の肖像画や工芸品、古文書等により仁和寺の歴史をご覧いただきます。
第二章 修法の世界
密教の教えでは、修行者が仏と一体の境地に達する時、仏の知恵を悟り、その力( 加 ( か ) 持 ( じ ) 力 ( りき ) )によって人々を救うと説かれています。その具体的なかたちとして、仏の力をもって現実世界に様々な影響を与える「修法」という儀式があります。天変地異をはじめとした災いを除き、幸福をもたらすため、我が国では特に修法の力が密教に期待され、平安時代には国家的な行事として行われました。仁和寺は 弘 ( こう ) 法 ( ぼう ) 大 ( だい ) 師 ( し ) 空 ( くう ) 海 ( かい ) を宗祖と仰ぎ、また創建以来皇室とのゆかりが深いことから、修法に関わる多くの名宝が伝えられています。本章では天皇の病気平癒や皇子の誕生を願う孔雀経法の本尊である「 孔 ( く ) 雀 ( じゃく ) 明 ( みょう ) 王 ( おう ) 像 ( ぞう ) 」や、 仏 ( ぶっ ) 舎 ( しゃ ) 利 ( り ) を納める容器である「 金 ( こん ) 銅 ( どう ) 火 ( か ) 焔 ( えん ) 宝 ( ほう ) 珠 ( じゅ ) 形 ( がた ) 舎 ( しゃ ) 利 ( り ) 塔 ( とう ) 」など、修法の場で用いられた仏画や法具を展観します。
第三章 御室の 宝蔵(ほうぞう)
承平元年(931)、仁和寺の御室にて宇多法皇が崩御するに際して、膨大な数の御物が仁和寺の管理下に移されます。これにより仁和寺の宝蔵が成立しました。以後、仁和寺の宝蔵は、御願寺(皇室の私寺)の宝蔵として厳重に管理され、火災や戦火に遭いながらも宝物は護られてきました。その中には国宝「 医 ( い ) 心 ( しん ) 方 ( ぽう ) 」など、中国・日本の医学史上において重要な史料も含まれています。また、仁和寺を総本山とする真言宗御室派の関係寺院にも、さまざまな寺宝が伝来しています。これまでまとまって紹介される機会がなかった仁和寺と御室派関係寺院に伝わる絵画・書跡・工芸の名品をご堪能いただきます。
第四章 仁和寺の江戸再興と観音堂
創建以降、広大な寺域を誇った仁和寺の伽藍も、京都を戦場とした応仁の乱のさなかの応仁2年(1468)、ことごとく焼失してしまいます。その後、仁和寺の南に位置する 双 ( ならび ) ヶ ( が ) 丘 ( おか ) の 真光院 ( しんこういん ) で法脈は受け継がれますが、現在のような伽藍に再興されたのは江戸時代初期、 覚深法親王 ( かくじんほっしんのう ) (1588-1648)の頃でした。寛永11年(1634)、覚深法親王は将軍 徳川家光 ( とくがわいえみつ ) に働きかけ、仁和寺再興の援助を受けることに成功します。さらに、天皇の御所であった 紫 ( し ) 宸 ( しん ) 殿 ( でん ) 、 清 ( せい ) 涼 ( りょう ) 殿 ( でん ) 、 常 ( つね ) 御 ( ご ) 殿 ( てん ) も移築され、堂舎に改築されました。皇室ゆかりの仁和寺ならではの特別の配慮と言えるでしょう。本章では江戸時代初期に再建された諸堂のうち、普段は非公開の観音堂の様相を33体の安置仏と壁画の高精細画像で再現するとともに、仁和寺の江戸再興にかかわる諸作を展観します。
第五章 御室派のみほとけ
開催概要
名称
会期
2018年1月16日(火)~3月11日(日)
*会期中に展示替があります
会場
東京国立博物館 平成館(上野公園)
主催
(画像はチラシより、概要・説明は公式HPより)