嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2

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【湯島天神】梅まつり①

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湯島天神】梅まつり

第61回 梅まつり
平成30年2月8日(木)~3月8日(木)

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

例祭日 五月二十五日
社 名 湯島天満宮(通称:湯島天神


 湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

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表鳥居(東京都指定有形文化財

この鳥居は銅製で、寛文7年(1667)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。
数度の修理を重ねて維持されてきましたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なもので、昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定されました。
鳥居の様式は神明鳥居といわれるもので、横木が二重になり、反りをもって、柱が内側に傾いています。横木の上の方を笠木、下の方を島木といいます。
鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81mです。

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総檜造りの社殿

 新社殿は、ご本殿と、参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている「権現造り」の建築様式で、日本古来の「木の文化」を象徴する純木造である。
現在の建築基準法では、たとえ社寺建築であろうと防火地域では新たに木造建築は認められていないのだが、万全の防災設備をととのえ、(財)防災性能評定委員会の一年近い慎重審議を経て、建設大臣認定第一号として特に木造建築が許可された。建材は、営林署と木曽木材組合の全面的な協力を得て、樹齢二百五十年といわれる木曽檜を使用しています。
  旧社殿の土蔵造りは、江戸幕府が頻繁に起こる火災のため、「焼け跡に建てる家はすべて塗家土蔵造り、瓦屋根にせよ」という防火対策を引き継ぎ、明治十八年に立て替えたものです。
 新社殿の外観上、特に目につくのは正面屋根の大きな三角部分です。これは神社の地形を考慮したもので、神社の南側の通りに面した鳥居のある場所が社殿の場所と約一メートルの高低差があるため、「妻」と称される三角部分をより大きくして拝殿を立派に見せています。さらに本殿は拝殿より高いのが原則ですから、本殿の屋根をより大きくして立派なものにしています。

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「梅まつり」パンフレット表紙

(説明は公式HPより)

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