

1961年(昭和36年)に開店した東天紅 上野本店は2015年に、地上9階建てで新しく生まれ変わりました。18の多彩な個室・宴会場や、中国料理と日本料理のダイニング、カフェ、チャペルなど、様々なシーンに応じた会場が用意されています。

不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)
江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。
こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。
昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33(1958)年に復興し、また昭和41(1966)年には芸術院会員であった児玉希望(こだまきぼう)画伯による龍の天井絵が奉納されました。
(公式HPより)
池を隔てて見える白い建物は上野精養軒です。

水鳥たちのシンクロナイズドスイミング?

ユリカモメ





何か用?



昔懐かしい「丸ポスト」
古き良き下町の文化を永く後世に伝えるために・・・
明治・大正ころまでの下町には江戸の名残がありました。 しかし大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の戦災によって、ほとんどその面影をなくし、さらに目覚しい復興を遂げた戦後、特に昭和30年代後半には東京オリンピックを契機とする再開発が積極的に進められ、街はすっかり様変わりしました。
人びとの暮らしもまた時代とともに変化し、便利さを取り入れた代わりに、古い時代の大切なものが忘れられようとしていました。
古き良き下町の文化が失われつつあることに、憂いの声が上がったのは昭和40年代のことでした。
それは次第に下町を愛する人びとの間に広がり、やがて庶民の歴史である下町の大切な記憶を次の世代へ伝えるための資料館設立の構想が生まれたのです。
これを実現するために台東区内外からたくさんの貴重な資料が寄贈されました。
【開館時間】
午前9時30分~午後4時30分(入館は4時まで)
【休館日】
毎週月曜日
年末年始
【観覧料】
一般 300円
小・中・高校生 100円
【所在地】
〒110-0007
東京都台東区上野公園2-1
(公式HP・パンフレットより)
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