
箱根芦ノ湖畔
「小田急 山のホテル」開業70周年
建物・歴史編
男爵別邸時代
広大な敷地面積を誇る『山のホテル』。この地は、そもそも三菱の創業者岩崎彌太郎の甥である岩崎小彌太男爵(1879〜1945年)の別邸が建てられていたところでした。目の前に広がる芦ノ湖、その隣には富士の雄大な姿。1911年(明治44年)、別邸は、箱根で指折りの景勝地としても知られる場所に建てられました。
1940年代
『山のホテル』がオープンしたのは、1948年(昭和23年)5月15日。新緑が輝き、初夏の風に芦ノ湖の湖面が揺れる、美しい日がホテルの誕生日となりました。戦争が終わり、「これからは観光に力を入れるべきだ」と財界のトップが中心となり、国際観光株式会社を設立。
1950年代
1955年(昭和30年)、『山のホテル』は小田急グループの系列に加わりました。その4年後、老朽化した建物を赤い三角屋根のホテルに改築し、リニューアルオープンしたのです。
1960年代
1968年(昭和43年)、『山のホテル』が増改築を繰り返し、成長していた頃、アラン・ドロン氏をお客様として迎えることがありました。仕事で来日した彼が、休日をゆっくり過ごしたいと選んだのが『山のホテル』だったのです。

1970年代
多くの人から愛された赤い三角屋根のホテルが、老朽化のために取り壊されることになったのは、1976年(昭和51年)のことでした。1年あまりの休業期間をおいて、再び営業を開始したのは、庭園のツツジが咲き始める1978年(昭和53年)5月1日。この日は『山のホテル』が、本格的な西洋スタイルのリゾートホテルとして出発する記念すべき日になりました。
1990年代~
別邸時代、多くのゲストをおもてなしした岩崎小彌太男爵の精神を受け継ぎ、『山のホテル』も、昭和40年代から庭を一般開放し、毎年5月につつじ・しゃくなげフェアを開催しています。






2階エレベータホールのクラシカルな調度品

ラウンジ・バーの天井を彩るクラシカルな照明



1Fの庭園出口

大きな窓から庭園と富士山を見渡せるラウンジ・バー




70th photo、情報は公式HPより
photo©ara