
新年の賑わい



大鳥居(おおとりい)
御影石製では日本一と言われている。









随神門(ずいじんもん)
平成23年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業として改築された。
門は高さ8.5m幅25m、門扉は高さ4.5m幅4.7m。扉一枚は畳5畳分程。国産の檜で製作され、屋根は銅板葺き、木造の門としても希に見る大きさである。正面には随神像、後面には恵比寿・大国が納められている。随神像は大國魂神社氏子青年崇敬会が独自に浄財を集め、東京藝術大学で製作された。俗に右大臣左大臣と呼ばれる「豊磐間戸命」「櫛磐間戸命」という門の神様である。
享保20年(1736)に押立村出身の代官川崎定孝により奉納された「随神像」に倣い製作された。製作には古くから伝わる顔料、材料を使用し、江戸時代に作られたであろう行程で製作された近年では類を見ない「随神像」である。
門の設計にあたっては、くらやみ祭での神輿や大太鼓の出入りをスムーズにする為に、先ず間口と高さを決めてから全体の設計にあたった。


鼓楼(ころう)
その昔は、時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物である。寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くから「鼓楼」と呼ばれる。 慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設された。しかし正保3年(1646)の火災で焼失、約200年余後嘉永7年(1854)再建される。
慶長年間の造営 徳川家康が江戸開幕を祝って六所宮の本殿を造営、それに伴うものとして鼓楼と三重の塔を建立した。



中雀門(ちゅうじゃくもん)
明治維新百年記念事業として昭和44年7月現在の物に建て替えられた。



拝殿(はいでん)
現在の拝殿は明治18年、当社が官幣小社に昇格した年に改築したものである。その後昭和53年に改修された。内部で拝殿と幣殿に分かれている。構造は流造・切妻千鳥破風・銅板葺素木造である。かつて将軍徳川家康が慶長年間に社殿を造営した際には拝殿と本殿の間に幣殿が建立されていたが大火で焼失し、再建後に拝殿と幣殿が一体となった。拝殿正面「総社六所宮」の扁額は江戸時代中期の書家勝間龍水によるものである。
拝殿は通常本殿の前面にあり、本殿より規模の大きな建物が多く、一般の参拝者には最も目につく場所である。本殿が神座そのものであるのに対し、拝殿は人が神に対して祭祀や祈願などさまざまな行いをする場所といえる。

神社の祭務、出張祭典、御朱印の受け付けを行います。



厄除け・災除けのできる人形(ひとがた)流し
水神社(みずじんじゃ)
創立年代不明。社殿は嘉永2年(1849)のもの。かつては祠が御供所(現休憩所)の東側に鎮座し、本殿と同じく北を向いていた。昭和58年12月16日に境外末社滝神社より御霊分けをされ、平成17年に現在の場所に移設され祠の下に岩の台座が設けられた。大國魂神社奉賛会記念事業の一つとして作られた深井戸を利用して地下水を竜頭口より流している。御水取りに来る参拝者で賑わう。

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松尾神社(まつおじんじゃ)
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
例祭:9月13日
例祭:9月13日
御祭神である大山咋命は、太古より醸造の守護神であると共に開拓の粗神として御神徳高き神で、酒、醤油、味噌、麹等の業者及び開拓関係者の信仰厚く霊験顕著で有名である。昭和31年(1956)に東京都酒造組合により現在の覆屋が奉納された。

結婚式場(けっこんしきじょう)
景行天皇41年(約1900年前)5月5日創立。縁結びの神様として広く知られる大國魂神社。歴史ある緑の杜の神社で挙げる神前結婚式。時代を超えて「愛されるなにか」は伝統という形で受け継がれていきます。古の神々に見守られながら、おごそかな雅楽の響きにこころ澄ます、一生に一度の晴れの日を、大國魂神社結婚式場がお手伝いいたします。


境内のご案内は公式HPより
photo©ara