
大河ドラマ「いだてん」にも登場
『浅草凌雲閣と浅草六区の賑わい』
江戸東京博物館より

浅草六区活動写真街
解説
明治40年代に入ると、活動写真が人気を集め、六区の見世物小屋は次々と常設の活動写真館に替わりました。この模型は、活動写真館街としての形ができあがりつつあった、1912年(明治45)1月初旬の浅草六区の姿を、立体的に再現したものです。再現にあたり、各建築の構造は「浅草公園地の建物新築願」(東京都公文書館所蔵)に綴られていた建築図面を参考とし、絵看板や幟(のぼり)などの装飾は館蔵の写真をもとに製作しました。


浅草六区の電気館
解説
活動写真は日本に入ってきた当初、芝居の劇場や地方を巡回するテントで上映されていましたが、1903年(明治36)に浅草六区の電気館が、日本で初めての常設の活動写真館になりました。当時、活動写真には音声がついていなかったので弁士(べんし)(解説者)が必要でした。電気館はそれまで見世物の口上を言っていた染井三郎が、そのまま弁士となって人気を支えました。


凌雲閣(浅草十二階)
復元年代:1890年(明治23年) 縮尺:1/10
解説
<浅草十二階>の名で親しまれた凌雲閣(りょううんかく)は、英国人の技師ウィリアム=K=バルトンの設計によるもので、1890年(明治23)に落成しました。
浅草のシンボルとして土産絵にも登場し、関東大震災で倒壊するまで多くの人々でにぎわいました。高さは220尺(約67メートル)とも197尺(約60メートル)ともいわれ、8階でまでは日本初となるエレベーターが設置されましたが、のちに危険性が高いとして運転が中止されました。
復元にあたっては、当時の写真や錦絵をもとにしました。


解説は博物館のプレート及び公式HPより
photo©ara