江戸深川散歩
『奥の細道ゆかりの地、採荼庵跡~深川東京モダン館』
清澄白河~門前仲町①
仙台堀川
エサを探しているのか、しきりに水面下に潜る鵜
仙台堀川に架かる渡辺橋のたもとにある「採荼庵跡」
採荼庵(さいとあん)は、江戸時代中期の俳人杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵室です。杉風は、名を市兵衛、または藤左衛門と称したほか、屋号を鯉屋(こいや)、俳号を採荼庵、五雲亭(ごうんてい)などとし、隠居したのちは一元(いちげん)と名乗りました。家業は魚問屋で、鯉上納の幕府御用もつとめ、小田原町1丁目(中央区)に住んでいました。松尾芭蕉の門人でもあり蕉門十哲(しょうもんじってつ)の一人に数えられ、『常盤屋句合』(ときわやくあわせ)『角田川紀行』(すみだがわきこう)などの著作があります。また、芭蕉を経済的に支援したパトロンとしても知られています。
採荼庵があった場所については、杉風の娘婿である隨夢(ずいむ)の遺言状に「元木場平野町北角」と書かれています。平野町は、海辺橋南詰から万年町(まんねんちょう)2丁目(深川1-8)をはさんだ一画でした。説明板が建っている海辺橋のたもとより140メートルほど南西に位置します。
芭蕉は奥の細道の旅に出る前、住居としていた芭蕉庵を手放し、しばらくは採荼庵で過ごしました。門人たちと別れを惜しんだのち、舟で隅田川をのぼり、千住大橋のたもとから奥州へと旅立っていきました。
天然酵母のパンと自家焙煎コーヒー「 B²(ビースクエアード)」
日本初・ベーカリー工場とコーヒー焙煎工場が一体となった新インダストリアルカフェ
時間帯によって行列が出来ています。
「清澄通り」
「深川一郵便局」
※撮影時期2022年12月中旬
「首都高速9号深川線」(画面上部)
photoⒸarashi