嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2

コミック、映画、ミステリーなど、思いつくまま綴ります。街のお散歩写真もご紹介(#^.^#)

神田駿河台~猿楽町【錦華坂と錦華公園】山の上ホテル・明治大学・夏目漱石ゆかりの地

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神田駿河台~猿楽町【錦華坂と錦華公園】

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錦華坂側より「山の上ホテル

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錦華坂側に面した山の上ホテルのチャペル

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光射す緑豊かな美しいチャペルです。

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錦華公園の東側を、文化学院前の「とちの木通り」の方へ上る坂です。錦華公園の南側にあるお茶の水小学校の旧名「錦華小学校」から、坂の名がおこったと思われます。

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錦華公園から見上げる

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砂場と遊具

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錦華公園
大名屋敷の庭園であった歴史ある公園です。水と緑と砂場複合遊具があり、都会の中のオアシスです。
公園に隣接する錦華小学校は、明治6年開校の夏目漱石も学んだ歴史のある学校で、 現在はお茶の水小学校となっています。
校庭の外に夏目漱石記念碑があります。昼間は学生やビジネスマンがお昼をとったり、神保町古本屋街に訪れた人が休んでいたりします。

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「猿楽町」町名由来板より

猿楽(さるがく)(のちの能楽)は、室町時代以降、多くの武士たちに楽しまれるようになりました。なかでも観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の流れを受け継ぐ「観世座(かんぜざ)」は、江戸幕府から手厚い保護を受けていました。その家元観世太夫(かんぜだゆう)や一座の人々の屋敷が、現在の神田神保町(かんだじんぼうちょう)一丁目~二丁目から西神田(にしかんだ)一丁目~二丁目のあたりにあったことから、この一帯に「猿楽町(さるがくちょう)」という名が生まれました。
この界隈(かいわい)は江戸時代、おもに武家屋敷が軒(のき)を連ねていました。もともと武家地には町名が付けられていなかったため、猿楽町という町名が正式に誕生したのは、明治五年(1872年)のことになります。
その翌年、神田錦町(かんだにしきちょう)にあった錦坊学校(きんぼうがっこう)の分校が、現在の猿楽町一丁目内に設立されました。その後、錦華学校(きんかがっこう)と名前を変更したこの学校で学んだのが、近代日本の文壇に大きな足跡を残した夏目漱石(なつめそうせき)です。漱石はこの小学校で学年を飛び越えて進級するほどの秀才ぶりを発揮したといわれています

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 名前はまだ無い

明治十一年 夏目漱石
錦華に学ぶ

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「先輩 夏目漱石 略歴」のプレート

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豊島屋
錦華公園の猿楽町側正面にあります。

豊島屋(昭和より豊島屋本店)は東京において最古の酒舗で、慶長元年(1596)に創業者豊島屋十右衛門が、江戸の中心部神田鎌倉河岸で酒屋兼居酒屋を始めたのが起源です。


錦華坂、錦華公園の説明は千代田区観光協会より

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