参考文献:文春ジブリ文庫「紅の豚」ジブリの教科書7
やっぱりおもしろい!!
映画『紅の豚』
やっぱり「紅の豚」はおもしろいですね。宮崎駿監督の趣味が炸裂しており、やはり自分の好きなことをとことん突き詰めることによって生まれるエネルギー(妄想)と類まれな演出力、画力が相まって、それに加えてスタジオジブリをはじめとしたスタッフ、声優さんや久石譲さんの音楽などの総力によって素晴らしい傑作となっていると思います。
『紅の豚』はどのように生まれたのか?
前回の記事の通り、もともとは映画製作の合間に模型雑誌に連載していたコミック「雑想ノート」の中の3話からなるシリーズが原作となっています。(1990年3月号~5月号掲載)
なぜ主人公は豚として描かれているのか?
宮崎監督の弁によれば、「雑想ノート」の生まれた経緯は「同じ趣味を長くやっていると、色んな雑学と妄想がたまってきて、そのはけ口がほしくなるんです。そんなときモデルグラフィックス編集長から話があって始めることになったんです(後略)」となっており、もともとその登場人物は擬人化された動物として描かれており、ポルコ・ロッソも当然のごとく豚として描かれていました。
個人的には豚が主人公でも違和感はまったく感じませんでした。そこで思うのは、あくまで原作も含めてこの作品は宮崎監督の妄想のはけ口であり、大真面目にカッコイイ主人公が活躍するものではなく、中年男の飛行機乗りが主人公である以上、そこには作者の自己投影もあるでしょうし、自虐的に豚の姿にすることによって、ある種の照れ隠しもあったのかなと思っています。
企画当初の45分のJAL国際線の機内上映の映画にするにあたり、最初に完成した絵コンテを見た鈴木プロデューサーから「そもそもなんでこいつ豚なんですか?」という質問を受けた宮崎監督により、ジーナが登場するくだりが作られ、「もう一個くらい理由を・・・」ということから、まだ人間だった頃のポルコが飛行機に乗るシーンが追加されました。
このように話をふくらませているうちに、劇場用長編映画にしましょうということになったそうで、このあたりの持って行き方は失礼ながら転んでもただでは起きない鈴木プロデューサーの手腕であり、面目躍如といったところでしょう。
宮崎駿監督の演出意図はどのようなものだったのか?
「国際便の疲れきったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。少年少女たちや、おばさまたちにも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」であることを忘れてはならない。(後略)」「紅の豚メモ 演出覚書」より
上記の通り、おそらく監督自身も含めて、中年男に向けての演出が意図されていることから、その狙い通りの対象に、とりわけ大きな支持を得られているのではないかと思います。
名場面プレイバック、宮崎駿監督とロアルド・ダール
「紅の豚」には名場面が数多くありますが、中でも印象的なのが、物語が終盤にさしかかる頃、夜間アジトの浜辺でなかなか寝付けないフィオがポルコの人間の姿を垣間見て、その後ポルコが昔話を語ってきかせるところです。
その場面に行く前にイギリスの作家、ロアルド・ダールについてご説明しましょう。ロアルド・ダールは、何度か映画化もされた「チャーリーとチョコレート工場」などの児童文学や、奇妙な味の短編で有名ですが、もともと戦闘機パイロットとして従軍しており、そのときの経験をもとに小説を書くようになりました。
宮崎監督は飛行機乗りとしてのロアルド・ダール作品、「飛行士たちの話」と「単独飛行」がとにかく一番好きだ※と述べており、ポルコがフィオに語る不思議な昔話は、「飛行士たちの話」に出てくるエピソードを想起させます。
このヴィジュアルで表現された印象的なシークエンスは、ロアルド・ダールにインスパイアされた宮崎監督なりのロアルド・ダールへのリスペクトを込めたオマージュではないかと思っています。
(※「飛行機乗りとしてのダール」出発点1979~1996より、初出「ミステリマガジン」早川書房1991年4月号)
参考文献:「出発点1979~1996」宮崎駿
豚ではないが、忙しそうにペンを握る自画像が戯画的に描かれたカバー。
参考文献:「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」宮崎駿
本書の装画は、「紅の豚」でも美術を務めた男鹿和雄である。