本の悪魔に魅入られた男が語る数奇な物語
『せどり男爵数奇譚』梶山季之著
発行日:2000年6月7日 第一刷発行
発行所:筑摩書房(ちくま文庫)
『せどり男爵数奇譚』とは・・・
本書は初出として「オール讀物」昭和49年(1974年)1月号~6月号に連載された古書、古本を巡る6話からなる連作短編集である。幾度か出版社を変えて発刊され、1995年の夏目書房版を元本として、ちくま文庫として発刊された。ちくま文庫は埋もれた名作を発掘してくれるのでうれしいですね。
著者の梶山季之は、もともと週刊誌のトップ記事を書くフリーライター、いわゆるトップ屋であったが、後にベストセラー作家となった。
物語は、小説家である私が、出版記念会の流れで銀座のバーへ繰り出すところから始まる。小雨の降る中、貸し切りのようになったバーへ、ひとりの客が訪れる・・・。その姿にどこか見覚えのある私は、その客が「セドリー・オン・ザ・ロックス」を頼んだことにより、記憶を呼び起こす。
忘れもしない昭和32年頃、文学青年だった私が、新宿「ノンノ」という酒場でバーテンダーをしていた時によく訪れていた客だったのである。思わず声をかけた私は、その男の名前が笠井菊哉ということ、彼が恋人や生き甲斐と呼び、彼の人生を狂わせ、生活を支える唯一の財源である対象物が「書物」であることを知る。
笠井は中学生の頃に古書に出会い、やがて戦前の成金であった父親から爵位と財産を譲り受け、横浜に古書店を開く。古書業界の中で「せどり男爵」と呼ばれる男が語り出す数奇な物語・・・。
銀座や早稲田、神田古本屋街などよく知る街が出てくるのが楽しい。神田の古本屋「一誠堂」や「八木書店」の名前や、江戸川乱歩や横溝正史と縁の深い出版社「博文館」の名前も登場する。
そして男爵がまるでバーのカウンターで「セドリーカクテル」を飲みながら語りかけてくるような文体が魅力的である。流行作家のテクニックなのであろうか、会話文や語り口調が主体となっていることもあり、さくさくと読めてしまう。
笠井菊哉自身は、本の悪魔に魅入られたことを除けば常識人?である(と思う)。しかしやがて話が進むにつれ、欲しい本を手に入れるためには手段を選ばない相手や、ビブリオクレプト(盗書狂)が登場してきて、ついに第6話では常軌を逸した猟奇的な世界に突入してしまう。なにごとも過ぎたるは・・・ということか。
本書を読了したときには、第6話に登場するかつて香港に実在した魔窟、九竜(クーロン)城に迷い込んだような、さながら本を巡る奥深い迷宮に迷い込んだような酩酊感に襲われるであろう・・・。
せどりとは・・・
せどりという言葉は、一般に背表紙を見て抜き取ることから背取り(または競りから競取り)といい、古書店で掘り出し物を探し出し、高く転売することを指すようである。
新古書店といわれるBOOK OFFの台頭や、インターネットの普及に伴い、よく知られるようになったが、もともとは本書の登場により広まったともいわれる。
本書の第一章のせどり男爵の言葉から引用してみよう。
「古本屋仲間で、嫌がられる商売の仕方に、新規開店の店へ行って、必要な古本だけを買うのを、俗に「抜く」とか「せどり」と云うんですよね・・・。(後略)」
ただし現在では在庫の回転、流通、商売の活発化に寄与するという意味でマイナス面ばかりでなく、評価されている側面もあるようである。
人気作品への登場、人気作家のお気に入り・・・
「ビブリア古書堂の事件手帖」~栞子さんと奇妙な客人たち~三上延著
2011年3月に発刊され、ベストセラーとなった人気シリーズの第一作。北鎌倉の古書店「ビブリア古書堂」を舞台に展開する古書を巡る物語。
本書には笠井菊哉を名乗るせどり屋が登場し、男爵とあだ名されている。太宰治の「晩年」を巡る第四話では「せどり男爵数奇譚」への言及がなされ、せどり屋として笠井菊哉を名乗る以上、絶対に偽名だろうということが判明する。
本作によっても、広く一般的にせどり屋、せどり師の存在や
呼称が広く知られるようになった。
「米澤屋書店」米澤穂信著
戦国時代を舞台としたミステリー「黒牢城」で、昨年末のミステリランキングを独占し、年明けの第166回直木賞を受賞した米澤穂信氏本について語った本書「米澤屋書店」。
冒頭には、自己紹介に変えて敬愛、あるいは偏愛するミステリを十作あげた中に「せどり男爵数奇譚」が含まれている。やはりこの本の魅力にとりつかれているようであると語っている。