東京大手町『大手門の白壁に映える枝垂れ桜』
大手門
旧江戸城の正門で、大名はここから登城していました。大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形と呼ばれる四角く囲まれた広場になっています。この枡形は、敵が城内にまっすぐに侵入するのを防ぐとともに、攻撃の際には兵の集合場所にもなる施設で、周囲の白壁には「狭間」という銃を撃つための穴があります。江戸城の城門の多くは、この形式でした。
慶長11年(1606)藤堂高虎の設計といわれます。寛永6年(1629)の工事のときには酒井忠世が分担しました。左右の石垣は伊達政宗が築造しました。
慶長11年(1606)藤堂高虎の設計といわれます。寛永6年(1629)の工事のときには酒井忠世が分担しました。左右の石垣は伊達政宗が築造しました。
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