大嘗宮一般参観と乾通り一般公開見学へ③
『クロマツ林と二重橋から坂下門へ』
クロマツ林
皇居前広場には、数千本のクロマツが、東京湾に浮かぶ小島に見立てた島々に植えられています。皇居の深い森と対照的に、開放的かつ荘厳な雰囲気の国民公園皇居外苑の景観となっています。皇居正門と坂下門との間には植樹帯があり「御親臨台」と呼ばれています。御親臨台は、東京市が1940 年(昭和15年)の記念事業として行なった「宮城外苑整備事業」の際に、天皇陛下の御臨幸を仰ぎ式典を上げる場所として設けられたもので、その前方広場には約10万人規模の人々が整列できるよう平坦化して砂利広場とし、芝生広場にはクロマツが植えられました。
皇居外苑の魅力(2) | 皇居外苑 | 一般財団法人国民公園協会より(以下同)
皇居前広場のルーツ
江戸時代以前、この辺りは漁業が盛んな日比谷入江に面していましたが、江戸時代には埋め立てられ、老中や若年寄りなどの屋敷が立ち並び「西の丸下」と呼ばれるようになりました。明治時代には、これらの屋敷が官庁の庁舎や兵舎などに使用されたりもしましたが、やがて撤去され広場化されました。その後、明治21年に至り、「皇居御造営」完成後の事業として、皇居前広場のクロマツなど植栽整備も行われています。戦後、国民公園として整備され、現在に至っています。
現在、皇居前広場は、内堀通りから皇居側の玉砂利広場(41,600m2)と内堀通りと外堀の間にある芝生緑地(68,300m2)で構成されています。
二重橋を左手に見ながら進みます。
二重橋について
皇居前広場の一番人気は、なんといっても伏見櫓を背景とした「二重橋」ですが、普段目にしている石造りの橋「皇居正門石橋」が二重橋と思われている人も多いようですが、実はその奥にある橋「皇居正門鉄橋」を二重橋と言います。
「皇居正門鉄橋」は、1614年(慶長19年)当初、二重構造(木造)であったことが、名前の由来となっています。現在の橋は、明治宮殿造営(完成明治21年)に当り、錬鉄製の橋に架け替えられ、更に昭和の新宮殿造営(竣工・昭和43年)に先立ち、意匠など大幅な変更をせず架け替えられて現在に至ります。
一方、「皇居正門石橋」は、1888年(明治20年)12月、明治宮殿が竣工する前年に完成しました。石造りアーチ橋には、花崗岩が使用され、照明灯や高欄を含め、西洋建築の意匠が採用されています。
坂下門
江戸時代には、門前の橋を渡り、枡形門を抜けて、左の坂を登ったところに西の丸御殿(現在は宮殿)がありました。西の丸の坂下にあったことから坂下門と言われています。幕末、1862 年(文久2 年)老中安藤正信が6 人の浪士に襲撃された「坂下門外の変」はこの門前で起こりました。明治になり、橋や高麗門は撤去され、奥にあった渡櫓門の向きを90 度変え、現在の場所に移築されました。
蛤濠
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