嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2

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追悼 高畑勲監督【おもひでぽろぽろ】



監督・脚本 高畑勲
公開:1991年7月20日

数々の名作アニメーションを生み出した高畑勲監督がお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

高畑勲監督悼む声 岡山でも相次ぐ 作品に少年期の体験や縁生かす

4/6(金) 23:02配信
山陽新聞デジタルより

 岡山市出身で、日本のアニメーション映画を長年けん引した高畑勲監督が82歳で亡くなった。手掛けた作品の数々には、少年期の岡山での体験や人々との縁も生かされていた。突然の悲報に6日、親交のあった関係者から悼む声が相次いだ。

 父親の転勤で小1の時に三重県から岡山市に移り住んだ高畑さんは、9歳で岡山空襲に遭った。その体験は名作「火垂(ほた)るの墓」(1988年)の空襲シーンに反映されている。戦後70年の2015年に同市が主催した講演で、焼夷(しょうい)弾の雨が降る中を姉とはだしで逃げた記憶などを切々と語っており、大森雅夫市長は「今の平和を守っていきたい、そのための役割を果たしたいと切に話されていた」と振り返る。

 最後の監督作品となった「かぐや姫の物語」(13年)は、敬愛していた赤磐市出身の詩人永瀬清子の代表作「諸国の天女」の影響を強く受けたという。今年2月に同市であった講演で、「人の営みを心から愛していた永瀬の天女を何度も思い出しながら作った、と振り返られた」と同市教委の白根直子学芸員(50)。

 長い年月に培われた文化や風土を大切にし、真摯(しんし)に作品に織り込む姿は多くの人に感銘を与えた。二十数年来親交のある民俗学者神崎宣武さん(73)=井原市出身=は「徹底した事前ロケを行い、目に見えるものだけでなく現場の空気感まで表現した。フィールドワークを行う者として敬意を抱いてきた」。

 創作を離れれば温和な人柄で、岡山に度々足を運んで旧友らと触れ合った。「交友関係を大切にし、お願いすると講演会を快く引き受けてくれた。偉ぶらず、いくつになっても夢を追い続ける人だった」と朝日高の同級生で烏城彫作家の木口省吾さん(82)=岡山市=は悼む。

 1997年に「高畑勲映画祭」を開いた岡山映画鑑賞会の真田明彦代表(61)は、昨年5月にも講演会を企画したが、体調不良で急きょキャンセルになったという。「すぐに良くなりお会いできると思っていた。次作を楽しみにしていたのに残念でならない」と肩を落とした。



 ■伊原木隆太岡山県知事の話 突然の訃報で大変驚いている。私自身が直接お目にかかったことはないが、岡山国体では県としてもお世話になった。多くの方に愛された素晴らしい作品を手掛け、日本アニメーション界に大きな影響を与えた。岡山で育たれた監督のご冥福をお祈りしたい。
最終更新:4/6(金) 23:02
山陽新聞デジタル