嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2

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続・橋のある風景 東京神田『昌平橋・松住町架道橋・神田川橋梁』

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続・橋のある風景
東京神田
昌平橋・松住町架道橋・神田川橋梁』
+聖橋

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神田川に架かり、神田淡路町二丁目から外神田一・二丁目に通じる橋です。万世橋から約250m上流にあります。最初は寛永年間(1624~1644)に架けられたといわれています。古名に「かり橋」・「新し橋」・「相生橋」、また一口坂に近いので「芋洗橋」などがありました。昌平橋の名の起こりは、元禄4年(1691)将軍徳川綱吉が湯島に聖堂を造営し、孔子の故郷である中国の魯の国昌平郷にちなみ、昌平橋と名乗るように命じたことによるといわれています。明治維新後、相生橋と改めましたが、明治6年(1873)に洪水で流されてしまいました。明治32年(1899)に再建され、再び昌平橋命名されました。現在の橋は、昭和3年(1928)12月8日に架けられたもので、長さ22.7m、幅30.1m、コンクリ-ト橋です。別名として、「かり橋」・「新し橋」・「相生橋」・「芋洗橋」があります。


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御茶ノ水と神田をつなぐ中央線

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神田川橋梁

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聖橋

神田川に架かり、昌平橋の上流約350mの所にあります。ニコライ堂がある神田駿河台四丁目と湯島聖堂がある文京区湯島一丁目を結んでいます。昭和2年(1927)9月8日に関東大震災の復興橋の一つとして架けられました。立体的な橋脚美は東京の新名所となり、北区滝野川の音無橋のモデルともなりました。橋の名は一般から懸賞募集してつけられました。長さ92.0m、幅22.0mの鋼及びコンクリ-ト橋です。

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万世橋方面 正面は肉の万世、右手がマーチエキュート

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photo©ara